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『Notes from a Big Country 大きな国からの手紙』 ビル・ブライソン
今回ブログで紹介するのは、『Notes from a Big Country 大きな国からの手紙』ビル・ブライソン著です。
この本は英語で書かれたものですが、興味のある章をいくつか選び、少しずつ訳しながら読み進めてみました。日常の何気ない場面をユーモアたっぷりに描き出す語り口に惹かれて、つい「次の章も覗いてみようか」とページをめくってしまいます。
本格的な翻訳ではありませんが、辞書を片手に、自分なりに味わいながら読んだ中から、印象に残った章やテーマについてメモ代わりに紹介してみます。

ビル・ブライソンがイギリスからアメリカに再移住した1990年代、自分が育った国が、便利で巨大で快適になった代わりに、どこか「つまらなくなっていた」ことに驚いたそうです。
本書は、そんなアメリカ再発見の連作コラム集であり、消費社会・郊外文化・日常生活を皮肉たっぷりに観察した記録でもあります。
著者はアメリカ出身で、長年イギリスでも暮らしていた経験を持つ紀行作家・エッセイストです。異なる文化にまたがる視点を持つことで、日常の風景や社会の矛盾を鋭くとらえながらも、決して声高にならず、ユーモアと観察眼で軽やかに描写します。『Notes from a Big Country』では、再び暮らし始めた祖国アメリカでのカルチャーギャップや、巨大化・効率化された社会への驚きと戸惑いを、笑いと愛情を込めて綴っています。
ビル・ブライソンの移住歴
ビル・ブライソンは1970年代にアメリカを離れ、約22年間をイギリスで暮らしました。
彼がふたたび故郷アメリカに帰国したのは1990年代半ばのこと。しかしそのとき、かつて自分が育った国はすっかり様変わりしていたといいます。

モーテル文化は衰え、街にはファストフード店と巨大チェーンが並び、どの郊外も似たような風景に。便利で快適になった一方で、味気なさと均質さがじわりと浸透していたのです。
ブライソンというイギリス経由の観察者の視点から見たアメリカの変化の記録でもあります。移住歴と時代背景を重ね合わせて見ることで、ユーモアの奥にある彼の驚きや批判の核心が面白いです。
ROOM SERVICE(ルームサービス)
作品から、2つの章を紹介していきます。
どちらも、著者がアメリカに再移住した1990年代の暮らしの中で感じた、驚きや違和感、そして笑いがつまったコラム。
ユーモアを交えながらも、本質をつくような視点が光る内容になっています。
英語で書かれた本ですが、できるだけわかりやすく訳しながら、魅力をお伝えできたらと思います。


かつてモーテル・インのような場所は、どこか旅心をくすぐる存在でした。知らない街の片隅で、くたびれた看板を見上げながら、今日はどんな部屋に泊まるのかなとワクワクしたのかもしれません。しかし、ガソリンスタンドとファストフードに囲まれて、すっかり「どこにでもある風景」に溶け込んでしまったと表現しています。
ブライソンは、そんな「風景の没個性化」に寂しさをにじませながらも、あくまで軽妙な語り口で伝えてくれます。


便利で均質なチェーンホテルと、かつての「個性ある旅の拠点」とのギャップを描くことで、現代の旅行文化が失った味わいをユーモラスに批判しています。懐かしさから旧式モーテルを求めたはずが、実際はボロボロで寒く、結局チェーンホテルに逃げ込む皮肉な展開は、「懐古」と「現実」のズレを痛快に浮き彫りにしています。

最終的に選ばれるのは、個性に欠けても安定した快適さを提供するチェーンホテル──という結末は、「選択肢があっても、人は結局無難を選ぶ」という現代社会の傾向をユーモラスに示しています。
「シャワーカーテンは、すばらしかった」というブライソンの締めの一言には、笑いと皮肉、そして少しの諦めがにじんでいます。
The Cupholder Revolution(カップホルダー革命)
ブライソンが取り上げるのは、一見なんでもない「カップホルダー」の話。でも読み進めるうちに、それが単なる車の装備ではなく、アメリカ人の快適さへの執着や、企業が顧客の本音をどう見落とすかという鋭い社会風刺に変わっていきます。
Volvoの「カップホルダー軽視による危機」や、なぜか挿入されるストックホルムの電話帳ネタまで、ブライソン節が炸裂するユニークな構成。ユーモアの中にある観察眼と皮肉が、じわじわ効いてくる一章です。


このエピソードは章の冒頭に登場するのですが、読んでみるとちょっと驚き。
CD-ROMドライブにコーヒーを置いて「カップホルダーが壊れた」と電話する人が本当にいたとは……。
まさかの勘違いなのに、本人は大真面目。
「カップホルダーはあって当然」と思い込んでいる感じが、アメリカの“快適さ優先”な文化を、ユーモラスに象徴しているように思います。
このちょっとした笑い話を入り口にして、ブライソンは「カップホルダー」という小さな存在から、アメリカ人の暮らしや価値観を、じわじわと掘り下げていくのです。


この部分では、カップホルダーがいかに過剰に重視されているかを皮肉たっぷりに語っています。
ニューヨーク・タイムズまでもが「カップホルダーの数」を評価軸にして車を比較するという現実に、ブライソンは呆れながらも笑いを交えて紹介。
飲み物をいかに快適に保持できるかが、アメリカの車選びの基準になっているという状況をユーモアたっぷりに描写していきます。


信頼性や安全性といった本質的な価値よりも、「ドリンクを置く場所」が車選びの決め手になる──。
そんな1990年代の車社会を、ブライソンはユーモラスに描いています。
ボルボがカップホルダーを搭載するという思い切った方針転換に踏み切ったのは、単なる機能追加ではなく、「快適性をめぐる価値観のシフト」そのものだったのだと思わされます。
実はスウェーデン生まれの自動車メーカー・Volvoは、もともと「安全性」や「堅牢な設計」、「質実剛健な美学」を大切にするブランドでした。
しかしアメリカ市場に進出した際、その設計思想は思わぬ壁にぶつかります。
それは──「カップホルダーがない」という事実でした。
アメリカでは、車内で飲み物を楽しむのはごく当たり前の習慣です。
中には、60オンスのスラーピー(巨大なジュース)を持ち込む人もいます。
そんな文化の中で「飲み物を置ける場所がない車」というのは、どれほど安全であっても、致命的な欠点と受け取られかねません。
こうしたエピソードが出てくるのは、アメリカの典型的な「車社会」を象徴しているようにも思えます。
まとめ
今回は、読んでいて何度も「うまいなあ」と唸らされました場面が多かったです。
「いや、なんでそこにそんなにこだわるの!?」って思うような話が、すごく真面目に語られています。
ただのおかしさじゃなくて、どこか社会の縮図にも見えてくるから不思議です。
カップホルダーが人生の大問題だったり、モーテルの味気なさにひたすら突っ込んだり。ブライソンの文章って、コミカルなのに観察眼が鋭くて、読んでると「ちょっとした違和感って、ちゃんと見ると面白いんだな」って思わされます。
堅いテーマじゃなくても、気づいたら文化や価値観の話をしている。
そんな読み心地が、なんだかクセになります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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