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『シャーロック・ホームズ讃歌』から広がる、ロンドン鉄道という視点
今回紹介する本は、『シャーロック・ホームズ讃歌』です。

『シャーロック・ホームズ讃歌』は、日本シャーロッキアンの中心であった小林司さん、東山あかねさんの編集によって1980年に刊行された一冊です。
医師であり翻訳者でもあった小林司さんを中心に、松下了平さんをはじめとする多彩な研究者・愛好家が寄稿しており、それぞれが独自の視点からホームズ像を語っています。
はじめに
今回のテーマの出発点は、『シャーロック・ホームズ讃歌』(立風書房、1980年)に収められた松下了平さんの論考でした。
そこではロンドンの鉄道を切り口に、ホームズ作品に登場する駅名や路線について丁寧に論じられています。

「ベイカー街からどこへ向かうのか」「チャリング・クロスから大陸へ抜けるのか」──駅名ひとつが、物語の舞台や登場人物の階層感を伝えていることを、松下さんは具体的な事例を挙げながら解説していたのです。
当時のロンドンの駅名が、当時の読者にとっては“物語を広げる記号”だったという可能性を考えました。
松下了平さんについて
今回取り上げた論考を書いた松下了平さんは、日本のシャーロッキアン(ホームズ愛好家)のひとりです。
鉄道とホームズを結びつける視点を日本で早くから提示した人物であり、その研究は後にまとめられて『シャーロック・ホームズの鉄道学』(JTBパブリッシング、2004年)という著書もあります。

ホームズ作品に登場する駅や路線を一つひとつ丁寧に読み解き、背景となるロンドンの鉄道事情や都市社会のあり方と結びつけて解説する姿勢から、独自の視点での研究として評価されています。
読者にとっては、「駅名を手がかりに物語をより立体的に読む」という新しい楽しみ方を教えてくれた先駆的な存在。
ロンドンの鉄道全体像
19世紀末のロンドンには、すでに市街を取り囲むように数多くのターミナル駅が整備されていました。
それぞれの駅がロンドンと各地方を結び、都市の東西南北に広がる路線網を形づくっていたのです。
この地図を見ていただくと分かるように、ベイカー街やパディントン、チャリング・クロス、ウォータールーといった主要駅が川沿いや市街の要所に配置され、テムズ川とともにロンドンの都市空間を構成していました。

19世紀末のロンドンは、まさに鉄道会社が群雄割拠する時代でした。
それぞれの駅が異なる会社のターミナルであり、行き先や社会的イメージを担っていたのです。

以下が、各鉄道会社のざっくりした概要です。
◆ GWR(グレイト・ウェスタン鉄道)
パディントン駅を拠点に、西部イングランドやウェールズへ。技術力と余裕ある雰囲気を象徴。
◆ L&NWR(ロンドン・アンド・ノース・ウェスタン鉄道)
ユーストン駅から北西部(バーミンガム、リヴァプール方面)。産業都市や商業地との結節点。
◆ GNR(グレイト・ノーザン鉄道)
キングズ・クロス駅を拠点にスコットランド方面へ。のちの東海岸本線となる重要幹線。
◆ GER(グレイト・イースタン鉄道)
リヴァプール・ストリート駅からイーストアングリア地方へ。工業地帯や労働者階層を結びつける路線。
◆ SER(サウス・イースタン鉄道)
チャリング・クロス駅からケント州方面。大陸連絡の玄関口。
◆ LB&SCR(ロンドン・ブライトン・アンド・サウス・コースト鉄道)
ヴィクトリア駅やロンドン橋駅を拠点に南部リゾート地ブライトンなどへ。レジャーや余暇のイメージ。
◆ SE&CR(サウス・イースタン・アンド・チャタム鉄道)
SER と LCDR が合同して誕生。ロンドン橋やヴィクトリア駅を拠点に南東部・ドーバー方面へ。大陸への玄関口を担った。
ロンドンの鉄道と駅名の意味
19世紀末のロンドンでは鉄道がすでに生活の基盤となっており、1880年代には人口3,000万に対して年間旅客数5〜6億、1900年頃には11億に達しました。

駅は「鉄道会社の縄張り」として都市を取り囲み、通勤・旅行・大陸連絡まで担う巨大な交通網を形づくっていたのです。
当時の読者にとっては、駅名は地名以上の意味を持ちました。
チャリングクロスと聞けば大陸へつながる港町を、リヴァプール・ストリートなら東方の工業地帯を、パディントンなら西部の余裕ある郊外を――読者は駅名だけで、その行き先や社会的イメージを即座に思い描けたのです。

ドイルは作品の中で情景描写をあまり詳しく行いません。
しかし、そのかわりに駅名をひとつ放り込むだけで、当時の読者の頭の中にはロンドンの風景が立ち上がりました。
だからこそ余計な描写を省き、物語をすっきりと進めることができたのだとも考えられます。
駅名は単なる地名ではなく、物語の空気を伝える“記号”として機能していたのです。
まとめ
駅名や鉄道網を手がかりにホームズ作品を読み返すと、物語の奥に当時の社会や人々の生活を感じることが出来るかもしれません。
新しい読み方として、鉄道の視点から作品を楽しむことは、ドイルが描いた世界をより豊かに感じることができそうです。
そして、「日本シャーロック・ホームズ・クラブ」のようなファンクラブの存在。
研究や考察だけでなく、ファンが集まり楽しみながら知識を深めていく場があるというのも、とてもユニークで面白いと感じました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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