『ファントム』読書記──ラヴクラフトのDNAを継ぐクーンツ的恐怖とは

今回紹介する本は、クーンツの『ファントム』という作品です。

【はじめに】映画を観ようと思ったのに、どこにもなかった…。

ディーン・R・クーンツの小説『ファントム』を読み始めたとき、私は「読み終えたら映画も観てみようかな」と、なんとなく思っていました。
実際この作品は1998年に映画化されていて、若き日のベン・アフレックが出演していることでも知られています。

ところが――Amazon Prime Videoをはじめ、どこを探しても見放題配信では見つからず。
DVDも簡単には手に入らない。あれだけスティーヴン・キング原作の映像作品が手軽に観られるのに、クーンツ作品はなかなかに“手強い”存在でした。

本作『ファントム』は、読みはじめこそホラー小説らしい幕開けでした。
静かな山間の町が異様な沈黙に包まれ、住人たちは忽然と姿を消している――
そんな不穏な空気の中で始まる物語に、「これは正統派ホラーかな」と思いながら読み進めていました。

ところが、ページをめくるごとに、ただの恐怖譚ではないことがはっきりしてきます。作家ディーン・R・クーンツのストーリー構成と人物描写、その組み立て方に、思わず舌を巻きました。

このブログでは、そんな奇妙で緻密なストーリー構造などに注目し、読書体験としてどこが印象に残ったのかを振り返ってみようと思います。

あらすじ

舞台は、雪に閉ざされたアメリカの山間の町、スノーフィールド。
若い女医ジェニファー・ペイジは、母を亡くした妹リサとともに、静かな新天地での生活を始めようとしていました。

しかし、彼女たちが町に戻ったとき、そこに人間の姿はありませんでした。
家々は無傷のまま、食事の匂いすら残っているのに、住人たちはまるで「一瞬で消えた」かのようにいなくなっていたのです。

ほどなくしてFBIの特殊部隊、軍の生物化学部門、そして一人の異端の学者――ティモシー・フライマンが招集されます。
彼がかつて書いた本の名は『太古からの敵』。
その中で語られていた「存在しないはずのもの」が、今まさに現実となっていたのです。

『ファントム』が描く恐怖と作者のジレンマ

本作に登場する“それ”は、何かが目の前で襲ってくる類のモンスターではありません。むしろ「見えない」「わからない」「説明できない」ことが、最大の恐怖として描かれます。

そして、その恐怖がもっとも深く感じられるのは、そこに“人がいた”という痕跡が、次々と失われていく場面です。

いちばんゾッとしたのは、“さっきまで人がいたはずの場所が、何事もなかったように空っぽになっている”場面の連続です。

『ファントム』を書くことは、人生で10大ミスのひとつだった。

これはクーンツのユーモラスな言い回しですが、冗談半分・本音半分のようなニュアンスがあります。

「『ファントム』が世に出たことで、私は“ホラー作家”というレッテルを貼られた。私はそれを望んだことも、受け入れたこともない。」

「だからこそ、自分で脚本を書くことにした。せめて、物語の根幹が壊されないように。」

彼は1998年の映画版『ファントム』において、自ら脚本を担当しました。
実はそれは、原作の意図や“恐怖の見せ方”が間違って伝わらないようにするための、彼なりの防衛策でもあったのです。

『ファントム』登場人物考

『ファントム』を読みはじめたときは、静かな町で人が消えていくという、よくあるホラー展開だと思っていました。
けれど、話が進むにつれて印象が少し変わってきます。

登場人物たちの描写が、意外と丁寧なんです。
主人公の医師ジェニーや妹のリサだけでなく、保安官補や通報者、ほんの数ページしか出ない人物にも、それぞれの背景がありました。

ただの“やられ役”で終わらせない描き方が、この物語を地に足のついたものにしている気がします。

この章では、物語を引っ張るメインキャラクターと、脇を固める登場人物たちの描かれ方を、少し比べてみます。

本作『ファントム』に登場するメインキャラクターたちは、それぞれにしっかりと背景が与えられています。
リサ・ペイジは、思春期の不安と喪失を抱えながらも、物語の中で成長していく存在として描かれ、ハモンド少佐は軍人としての冷静さと、過去のトラウマを背負う人間としての側面を併せ持っています。

こうした「過去」や「迷い」を伴った人物造形は、いわゆる王道のジャンル小説――ミステリーやホラー、SFを問わず、多くの物語で重視されるポイントです。

それでは、サブキャラクターについて…

おどろいたのは、サブキャラクターたちの描写が驚くほど丁寧なことです。
メインキャラではない彼らにも、過去や性格、価値観がしっかり与えられていて、
たとえ数ページの登場でも“その人がそこで生きている”と感じられるリアリティがあります。

たとえば、保安官補ジェイク・ジョンソンは、引退目前の年齢ながら慎重で保守的。できれば危険には関わりたくないという本音を抱えながら、それでも現場に立つ。
一方、元軍人のフランク・オートリーは、身だしなみひとつとっても几帳面で、
命令の中に安心を見出すような、いかにも“組織人”らしい人物です。

こうした脇役たちがきちんと描かれているからこそ、スノーフィールドで起きている異常事態が、“突然巻き込まれた人たちの、それぞれの人生の延長線上にある出来事”として感じられます。

ただ怖いことが起きている、というだけではなくて、「この人はなぜここにいて、どんな立場でそれに向き合っているのか」が自然に伝わってくるのです。

ストーリーの妙とホラー作品としての系譜

ディーン・R・クーンツの『ファントム』のストーリー構造は、「ひとつの事件を追う形式」ではなく、最初から三つの視点――異なる立場、異なる雰囲気、異なるジャンル性を持った物語線が、それぞれ独立して進行していく印象を受けます。

それが物語後半で、ひとつの現象へと収束していく。
この“構造の妙”が、作品にじわじわとした緊張とスケール感をもたらしています。

上の図では、『ファントム』における三つの主な物語線を簡単に整理しています。
それぞれの視点が、“それ”へ向かって収束していくのかが分かる構成です。

■スノーフィールドの異変(メインストーリー)
 小さな山間の町で人々が姿を消す。読者が最初に出会う、最も“ホラー的な”ラインであり、物語全体の感情的な軸を担います。

■学者視点の集団失踪研究(歴史ミステリ・オカルト的)
 過去に繰り返されてきた失踪事件とスノーフィールドの異変をつなぐ、知識と考察のパート。 フライマン博士という異端の知識人が、“見えない存在”を言語化しようとします。

■脱獄囚視点の別ルート(クライム・サスペンス的)
 物語本筋とは別に動く、脱獄犯たちの逃走劇。 一見関係なさそうに見えるこの視点が、思いがけないかたちで“それ”と交差していくという構造。

本作は、単に“ホラー小説”とラベリングするだけではもったいないと思いました。
読んでいると感じるのは、「この描き方、どこかで読んだような…でも少し違う」という感覚。
ラヴクラフトのような“見えない存在”の不気味さもあれば、スティーヴン・キングのような群像劇の濃さもある。
そして、その両方を踏まえたうえで、現代的なSFやサスペンスの手法も取り込まれている。

じゃあ、『ファントム』ってホラーの中でどういう位置にあるんだろう?
そんな視点から、下の図を作ってみました。

この図では、『ファントム』を「ホラーというジャンルの中の流れ」の中に位置づけています。

■始原点:H.P.ラヴクラフト
理解不能な存在や異界、そして人々の失踪といったテーマを扱い、「何かがあるが、それが説明できない」という恐怖の原点を築いた作家です。

■中継点:スティーヴン・キング
異常な出来事を日常の中に引き込みながら、多視点・多層的な人間描写で物語を展開します。恐怖と感情をつなぐ構成力の巧みさが特徴です。

■本作:ファントム(D.R.クーンツ)
ラヴクラフト的な“見えない恐怖”と、キング的な群像劇の要素をあわせ持ち、
さらに「それ」を科学的に解明しようとする葛藤も描かれています。
三本の物語線が終盤で交差するという仕掛けによって、恐怖がより構造的に。

■派生:現代のTVドラマ・ホラー作品
『Xファイル』『ストレンジャー・シングス』『LOST』などに代表されるように、
「日常と異常の交差」からはじまり「失踪・陰謀・組織介入」といった要素は、『ファントム』以降のホラードラマ作品にも脈々と受け継がれているように見えます。

まとめ

少し個人的な視点も混じった解釈かもしれませんが、『ファントム』という作品の構造や位置づけには、それだけ語りたくなる奥行きがあると思っています。

1980年代の作品ですがただ怖いだけではなく、どこかで読んだようでいてまだ新鮮味が十分に感じられる。
ホラーというジャンルの流れの中で見たときに、この作品ならではの立ち位置としての魅力が少しでも伝わればうれしいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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