イギリスの東インド進出は交渉から始まった──ランカスター航海記

今回紹介する本は、『大航海時代叢書 第2期 17 イギリスの航海と植民』です。

本記事では、大航海時代において後発だったイギリスが、武力に頼らず「交渉と信頼」によってアジア通商の足がかりを築いていった過程を、ジェームズ・ランカスターの航海記録を通して読み解きます。

そしてそこから、

なぜ「一度失敗した航海士」が再び起用されたのか

征服ではなく契約による帝国形成とはどういうことか

後発であることが戦略にどう影響したのか

──という問いを通して、
現代にも通じる「慎重な挑戦」「文化尊重」「経験重視」の価値を抽出していく構成です。

はじめに

「大航海時代叢書」は、16〜17世紀の航海記録を現代日本語で丁寧に紹介するシリーズです。
冒険・貿易・外交・戦争――さまざまな局面を記録した一次資料を訳し、当時の世界のリアルを伝えてくれる稀有な叢書です。

今回読んだのは、その中でも「イギリスの東インド航海」に関する巻。
すでにポルトガルやオランダが拠点を築いていたアジア交易圏において、イギリスがいかに割って入り、自らの通商ルートを築いていったのか――その最初の実践が記されていました。

中でも注目したのが、ジェームズ・ランカスターという人物です。
彼は、国家から派遣されたのではなく、商人たちの出資による会社に雇われた航海士でした。

興味深いのは、彼が「過去に東インド航海に失敗した経験」を持っていた人物だったこと。
それでも、いや、だからこそ――再び任を託された。

一度困難な航海を経験した人物が、再び任に就き、現場で得た知識を活かして新たな航路を切り開いていく様子が見えてきます。

大航海時代とイギリスの立ち位置

16世紀の海――そこにはすでに明確な「秩序」がありました。
アジア航路を牛耳っていたのは、スペインとポルトガル。
とくにポルトガルは、マラッカ(1511年占領)やインドのゴアなどを拠点に、香辛料貿易を通じて東洋における覇権を確立していました。

胡椒はその象徴的な商品でした。
中世ヨーロッパでは「金と同等」とまで言われた香辛料ですが、16世紀の後半になるとポルトガルがその交易ルートを独占し、価格を自在に操作していたのです。
イギリスにとって、それはただの「遠い話」ではなく、「手の届かない富」として目の前にぶらさがっていたに等しいものでした。

こうした中、イギリスがようやくアジア貿易に本格的に乗り出したのが、16世紀末から17世紀初頭のことでした。
すでにポルトガルやオランダが海の覇権を握っていたなかで、イギリスは明らかな後発勢力。

だからこそ、最初から武力による拠点占拠ではなく、交渉・贈答・商談といった穏健な手法によって通商関係を築く道を選ばざるを得ませんでした。

ポルトガルが実際に支配していたのは、スマトラ島そのものではなく、その対岸にあたるマレー半島のマラッカなどの要港でした。


とはいえ、スマトラ島北部のアチェ王国はポルトガルの脅威に常にさらされながらも、強力な軍事力と海上勢力を背景に独立を維持していた国家です。
当時、イスラーム商人の拠点ともなっていたこの王国は、まさに“ポルトガルに対抗しうる勢力”として注目されていました。

ランカスターの航海で訪れたのも、このアチェ王国でした。
イギリスがこの地で貿易の足がかりを作るためには、軍事力ではなく、信頼されることが何よりも重要だったのです。

後発国であったイギリスは、他国のように軍事力で拠点を奪うのではなく、交渉や贈答といった方法で、慎重に通商の機会を探っていきました。

ランカスターという人物

ジェームズ・ランカスターは、イギリスの初期アジア航海を実際に経験した数少ない人物の一人でした。

1591年、イギリス初の東インド航海隊に参加した彼は、困難な環境下で生き延び、多くの知見を得て帰国します。
この航海は壊血病や補給不足などによって多くの犠牲を出し、目立った成果は上げられなかったものの、ランカスターにとっては貴重な現地体験となりました。

その後、1600年に東インド会社が設立されると、イギリスは本格的にアジア貿易へ参入する方針を固めます。
このとき、すでに東インド洋域の気候・航路・通商文化に触れた経験を持つ人物は、ほとんど存在しませんでした。
だからこそ、ランカスターに白羽の矢が立ったのです。

彼が選ばれたのは、「過去の失敗を許された」からではなく、失敗を通じて現場を知っていたから。
未知の海域へと進出するためには、成功経験よりもむしろ、「一度苦しんだことがある」ことこそが、判断力として信頼されたのでしょう。

こうして1601年、ランカスターは第一回東インド会社の航海隊長に任命され、イギリス初の実利あるアジア通商を成し遂げることになります。

【小話】ランカスターの航海術

彼の航海は、単なる航海技術や指揮力だけでなく、「細かい気配り」や「地味だけど効く工夫」といったノウハウに満ちていました。
そのスタイルは、まさにイギリス流交渉型帝国の原型とも言えるものです。

▶ レモン汁
長い航海において、壊血病が乗組員の最大の敵だったこの時代に、ランカスターはレモン汁を持参して乗組員に配給。
当時はまだビタミンCの知識などない時代。
経験から「これが効く」と知っていたその判断は、結果的にクルーの生存率を劇的に改善しました。
彼の船だけが元気だったという記録も残っています。

▶ マレー語通訳
いきなり現地に行って「ハロー、取引しましょう」では話になりません。
ランカスターは最初からマレー語を話せる通訳を雇って航海に参加させていました。
これは「交渉ありき」の航海だった証拠です。
“相手の言語で話す”――これは現在でも基本ですね。

▶ 贈答品リスト
アチェ王国との接触では、現地の慣習を踏まえた「贈り物リスト」を用意していました。
絹や金属製品、ガラス器など、ただの見栄ではなく文化的に好まれるものを選んで持って行ったのです。つまり、「まず礼を尽くす」戦略。
これは武力で押し切る他国とは一線を画しています。

まとめ

『東インドの航海』を通して見えてきたのは、大航海時代のなかで「戦わずして入り込む」ことに成功した、イギリスという後発国のしたたかさでした。

香辛料貿易を武力で独占していたポルトガルに対し、ランカスター率いる航海隊は、通訳を用意し、贈答品を整え、文化的な礼節を重んじる姿勢で臨みました。
そこには、ただの貿易を超えた交渉の戦略がありました。

そしてもう一つ、印象的だったのは、一度困難な航海を経験した「失敗者」にこそ、再び大任を託すという判断です。
現代風にいえば、それは「リスク管理」の視点そのもの。
未知の領域に挑むときには、過去の痛みを知る人物の判断力が、最も信頼される――その合理性が、すでに17世紀にあったのです。

現代においても通じるような、

◇相手の文化を尊重することから始める

◇ソフトパワーで信頼を築く

◇失敗した人こそが次の成功を導くこともある

──そんな本質を感じざるにはいられません。

帝国と聞くと、大きくて圧倒的なものを想像しがちですが、その始まりは意外にも、とても人間くさい判断と対話に支えられていたのかもしれません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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