星新一『宇宙のあいさつ』を、いま読んでみると

今回紹介する本は、星新一さんの『宇宙のあいさつ』です。

星新一の短編集『宇宙のあいさつ』は、1970年代に刊行された作品です。

日本がまだ高度経済成長の熱気に包まれていたころ。

未来は明るく、科学は万能。そんな空気の中で、「でも、ほんとにそれでいいの?」と問いかけるようなちょっと冷めた目線とユーモアが詰まった一冊です。

収録されている35編のショートショートは、どれも数ページで読めて、未来のこと、人間のこと、社会のことを、チクリと刺しながら笑わせてくれます。

……というわけで今回は、その中から3編を選んで読んでみました。

「不景気」——笑いながら不安を売る時代

昭和40年代の終わりごろ――。

街はにぎわい、モノは増え、人々は豊かさに酔いはじめていました。

けれどその足元には、じわじわと“蟹のような不景気”が近づいていたのかもしれません。みんな、どこかでそれに気づいていた。

でも口には出さなかった。

星新一の短編「不景気」は、そんな時代の空気を軽妙に、しかし容赦なく描いています。

人々の購買意欲を高めるために使われたのは、なんと“謎の細菌”。

消費こそ正義。働いて、買って、回せ回せと、熱に浮かされたような景気対策。

……それが滑稽で、でもちょっと身につまされる。

現代に置き換えれば、もしかしたら「老後の不安」「円安」「年金問題」――

そんな言葉で、今のわたしたちもまた“意欲”をあおられているのかもしれません。
あの頃が「モーレツ細菌」なら、いまは「将来の不安ウイルス」でしょうか。

笑いながら読めるはずなのに、読み終えたあと、胸の奥にひんやりした感触が残るのが星作品のすごさ。

時代が変わっても、人の不安は、うまく商品にされるんですね。

「奇妙な社員」——社長がバイトして何が悪い?

この短編を読んで、最初に思ったのは「ちょっと変な話だな」ということでした。

ある企業に入社してきた優秀な新人――その正体は、なんと他社の“社長”。

それなのに一社員として地道に働く姿が描かれます。

昭和的な価値観では、ひとつの会社に勤め上げるのが当たり前。

副業や転職なんて「腰がすわってない」と見られていた時代です。

そんな中で、あえて“下の立場”に身を置く社長は、確かに「奇妙」に映ったのかもしれません。

でも、読みながらふと思いました。

……本当に変なのは、誰の方なんだろう?

働くことそのものを楽しむ人を“おかしい”と笑う価値観のほうが、実はずれていたのかもしれません。

この話、設定は面白いのに、どこか途中で止まってしまったような印象もありました。

もしかすると、作者の中にはもっと大きな構想があったのかも。

それをあえて“骨組み”だけ残して、読者に委ねているのかもしれません。

そして何より、現代のわたしたちにとっては――

「社長が副業? いいじゃない」って、すんなり受け入れられる時代。

だからこそ、この“奇妙な社員”が、少し未来を先取りしていたようにも思えるのです。

「タイム・ボックス」——未来が見えても、使い道がなければ

時間を少しだけ進めたり戻したりできる装置、「タイム・ボックス」。

苗を入れればすぐに成長し、逆に戻せば球根に。

夢のある発明なのに、使い道が思いつかない――というのがこの短編の面白さです。

「便利なはずの技術」があっても、活かせなければただの箱。

技術だけが先走り、用途が後からついてこない感じは、今のAIやAR、3Dプリンターにも通じるものがあります。

結局この装置、使い道は「いかさま賭博」。

未来をちょっとだけのぞいて、ダイスで確実に当てるという小ずるい方法。

でもそうして得た運には、不思議と帳尻が合ってしまう――

そんな“うまい話には裏がある”感覚が、静かに残るラストです。

読みようによっては、これは“因果”や“流れ”に対する星新一なりのスピリチュアルな視点なのかもしれません。

便利なものこそ、ちゃんと考えて使わなきゃ。

そんな警告にも聞こえる短編でした。

読み終えて思ったこと

短編集って、やっぱり気楽でいいですね。

どの話もすっと入ってきて、読んでて楽しい。

学生時代によく読んでいた頃の感覚が、ちょっとだけよみがえりました。

でも、大人になった今読むと……なんだか自分、頭が固くなったなあとも感じます。

すぐ「これは現代の○○とつながる」とか、「ここには風刺が」なんて、
読みながら分析っぽいことをしてしまいます。

もっと素直に楽しめばいいのに、って自分にツッコミを入れつつ 笑

でもそういう“つい考えちゃう”のも、星新一の短編に詰まっているアイデアの力なんだろうなと思いました。

一見さらりとしているけど、掘れば掘るほど「これ何かに使えるんじゃ?」って思える、そんな原石のかたまりみたいな作品たち。

そしてふと考えたのは――

星新一って、ただの夢想家じゃなくて、
「空想を、ちゃんと現実に使える形で語ろう」としてた人なんじゃないかなってこと。

発明とか未来とか、すべてを空の向こうに描くんじゃなくて、
「明日の社会」「明日の自分」に手が届くサイズで見せてくれていた。
そんな気がしています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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