
日本最大規模の炭鉱だった三池炭鉱は、1997年にその長い歴史に幕を下ろしました。
なぜ閉山に至ったのか――そして、そこで働いた人びとは何を思ったのか。
証言集『三池閉山』を手がかりに、その背景と当時の空気をたどります。
なぜ閉山したのか?
1950年代、日本は「石炭の時代」から「石油の時代」へと大きく舵を切りました。
エネルギー革命と呼ばれるこの流れの中で、炭鉱はどんどん減っていきます。

安くて大量に入ってくる海外の石炭に押されて、小さな炭鉱は閉山ラッシュ。
三池のような大きな炭鉱だけが、政府の支援でなんとか持ちこたえていました。
でも1960年、会社が大規模なリストラを打ち出します。
1500人もの指名解雇に、働く人たちは怒りました。
こうして始まったのが――三池争議。
312日ものロックアウトと全国からの支援。
「働くって何?」「命を削る現場って何?」
社会全体がこの争いに注目しました。
最終的に組合側は解雇をのまざるを得ませんでしたが、
これをきっかけに失業保険や再就職支援の制度が整えられていくことになります。
労働組合の動きとその影響
三池炭鉱では、戦後まもなく強い労働組合がつくられていました。
過酷な現場を守るため、待遇や安全の改善を訴え続けてきたのです。
1960年の三池争議では、組合員の妻たちが炊き出しやデモに立ち、
1963年の事故後には主婦たちが坑内で抗議の座り込みを行いました。
町全体が「ひとつの現場」だった時代です。
最後まで、再就職や補償、そして記録の保存に向き合い続けました。
闘いの形は変わっても、声は消えませんでした。
労働者が一丸となって町ぐるみでデモをする――
今ではちょっと考えにくいですよね。
でもそれが、炭鉱という「生きる場所」のリアルでした。

そして、労働者だけでなく、経営側の幹部たちの証言も収録されているのが、この本の特徴です。
対立だけでは見えない、もうひとつの現場の風景が浮かび上がります。
坑内で働くということ
三池炭鉱の現場は、本当に過酷でした。
地下の坑道は暗くて狭く、夏のような暑さと湿気の中で重い作業をこなします。
気温は30度を超え、湿度は90%。場所によっては機械も入れず、人の手だけが頼りでした。

作業は24時間体制で、1万人以上が交代で働いていた時期もあります。
粉じんやガスの危険と隣り合わせで、ガス爆発や落盤事故はいつ起きてもおかしくない状況でした。
それでも炭鉱夫たちは、互いに支え合いながら黙々と働いていました。
石炭は「黒ダイヤ」と呼ばれ、日本の産業を支えた大切な資源だったのです。
閉山後も、仲間とのつながりや現場への誇りは、今も語り継がれています。
まとめ
この本に「正解」は書かれていません。
あるのは、当時を生きた人たちの、率直な言葉です。
中には、人生が大きく狂ってしまった方の記録もあります。
なかなか触れることのない声だと感じました。
労働組合がもっとも熱を持っていた時代、
賃金や安全の交渉だけでなく、
社会に向けて声をあげる人たちがいました。
声を出すことが、生きるための手段だった時代。
今とは違うけど、「働くって何だろう」って、ふと立ち止まってしまいます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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