
今回紹介する本は、ウィリアム・アイリッシュの『晩餐後の物語』です。
アメリカのノワール作家として知られるアイリッシュによる短編集で、
都市に潜む不安や偶然の恐怖を描いた代表作のひとつです。
本記事では、収録作の中から「晩餐後の物語」「射的の名手」を取り上げ、
物語構造や登場人物の描き方、事件の“前”に漂う空気感に注目して解説します。
アイリッシュ作品に初めて触れる方にもおすすめの一冊です。
ウィリアム・アイリッシュという作家
ウィリアム・アイリッシュ(本名コーネル・ウールリッチ)は、1940年代アメリカのサスペンス/ノワール作家。
ヒッチコックによる映画化(『裏窓』など)でも知られていますが、本領は「都市の夜」と「偶然」に満ちた短編群。

なかでも特徴的に感じたのは、犯行前の空気をこれでもかと描きこむこと。
登場人物たちはまだ何もしていないのに、読者はなぜか不穏な未来を察してしまう——そんな“始まりの不安”が、彼の持ち味です。
「ウィリアム・アイリッシュ」は、短編やサスペンス色の強い作品で用いられた筆名であり、長編や本格寄りの作品では本名コーネル・ウールリッチ名義が使われました。
短編① 晩餐後の物語(After-Dinner Story)
高層ビルのエレベーター事故で富豪の息子が死亡。
自殺と判断されたが、父親は納得できず、事故の生存者5人を自宅の晩餐会に招待する。
彼らの会話から、1年前の“あの瞬間”が少しずつ再構成されていき……。

5人のうち、誰が、なぜ殺したのか。
真実はひとつの「違和感」から剥がされていく。
密室でもアリバイでもなく、“空気の反射”だけで真相が迫る構成が見事です。
短編② 射的の名手(Dead Shot)
小悪党クリップは、有名女優のサインを悪用して一儲けしようとするが、失敗。
逃げ場のない中で彼女に呼び出され、「一つだけ仕事をしてほしい」と持ちかけられる。
それは、銃を使った殺人の片棒、
フランス窓に向かって、拳銃を一発撃ち込むこと。
しかし実行の瞬間、クリップが知らない“本当の銃弾”が飛んでいた——。

罪を犯していない者が、犯人に仕立てられていく不条理。
しかしこの作品の面白さは、そこからの“逆転劇”にあります。
クリップはただの犠牲者では終わらず、策士の顔を見せる後半が痛快です。
アイリッシュ作品に見る「犯行未然」の緊張感
ウィリアム・アイリッシュの短編小説は、事件が起こる前段階の描写に異様なまでの緻密さが面白いです。
物語の冒頭では、犯人も被害者も未だ定まらず、表面的には日常の一コマが綴られますが、その日常はどこか不穏で、読者には“小さな異変”や“不自然な兆候”が丁寧に示唆されていきます。

アイリッシュは日常生活のディテール(些細な嘘や何気ない仕草、部屋の様子など)を巧みに用いて、読者の心に疑念と不吉な予感を芽生えさせます。
アイリッシュの短編は、まだ事件そのものが発生していない段階から読者を物語の中に引き込み、サスペンスを味わわせるかのうよう。
言ってしまえば、「観客(読者)だけが気づいてしまう」というサスペンス的な手法と分類できるのかもしせません。
まとめ
ウィリアム・アイリッシュは、短編・長編どちらでも構成の巧さが光る作家だと思います。
特に、どんでん返しの展開があっても、それが不自然にならず物語にうまく溶け込んでいる点が見事。
登場人物の描写には当時の中流以下の生活感や心理がにじんでいて、どこか切実な空気を感じさせます。
普通のサスペンスというより、人間の不安や迷い、弱さまで描いているのが魅力、読後に静かなざらつきが残るような感覚があり、アイリッシュらしさを感じさせます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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