エラリー・クイーン作品の小径をたどる

今回紹介するのは、『大富豪殺人事件 エラリー・クイーン』に収録されている二篇です。

大富豪殺人事件 あらすじ

老富豪ピーター・ジョーダンからエラリー・クイーンに一通の手紙が届く。
その内容は、「自分の命が危険にさらされているので助けてほしい」という切実なものだった。しかし、数日後、老富豪は殺害されてしまう。

殺害現場には一切の手掛かりが残されていない――そんなことが果たしてあり得るのだろうか?

本作では「エラリー・クイーン」は著者の名前ではなく、探偵役の主人公として登場する。
彼は推理小説家として活動しながら、警視である父の事件に関与し、数々の謎を解き明かしていく。

登場人物

エラリイ・クイーン: 作家兼探偵。本作の主人公。
ニッキー・ポーター: エラリイの事務所の秘書で、助手的な役割を担う。

ピーター・ジョーダン: 殺害される老富豪。
マーガレット・ジョーダン: ピーターの妹。

ロベルト・カッシーニ: オペラ歌手で、マーガレットの夫。
ソーンダイク弁護士: ピーター・ジョーダンの弁護士。

物語の序盤で、エラリイ、助手のニッキーそして依頼人ジョーダンが会話するシーンから。

「私は殺されそうなんだ…」
ジョーダンが真面目なことは疑うべくもなかった。
ニッキーは半信半疑の面持ちだったが、この男の恐怖には、何か恐ろしいほどの真実味があることをエラリイは感じ取っていた。

老富豪ピーターは、財産と地位を持つだけでなく、ユニークな性格の持ち主と描かれています。
例えば、彼は常にチューインガムを噛む癖があり、その言動にはどこか勝負師らしい気質が漂っている。
また、株の仲介人として財を成し、遺言状を頻繁に書き換えることで財産譲渡の行方を複雑化させるという徹底ぶり。

ある人間の偏執的な一見狂気とも見える恐怖を嗤った後で、
それが残酷な形で現実化するのを見るのは、あまり好い気持ちではなかった。

老富豪自身の予感がずばり的中し、その通りに殺害されてしまいます。
登場人物たちは各々自分たちの行動で救えなかったという自責の念に苛まれます。

ようやく一人きりになるとエラリイは活動を開始した。
肘掛け椅子に腰をおろして考えに没頭した。

エラリイは、事実を丹念に吟味し、仮説を立てて検証を重ねる「熟考型」の探偵である。
行動派の探偵とは異なり、机に向かいじっくりと考察を進めるタイプ。
新たな手掛かりを自ら探しに行くのではなく、既出の要素から検討していくのが得意なんでしょう。

それとは対称的に、物語では助手のニッキー・ポーターが行動的な役割を果たし、事件解決の手助けをする。

作品としては、ニッキー・ポーターという助手役の女性が活動的に物語を進めてくれるので、エラリイがじっくり考察タイプでも成り立つという具合でしょうか。

全体としては、短編であることを活かしたシンプルな構成の中に緊張感を盛り込まれているのは魅力的です。
が個人的には、「老富豪の恐怖」にもう少し具体性があれば、感情移入できたかもと思ってしまいました。

例えば、老富豪が怯える具体的な出来事や兆候――家の中で誰かが忍び込んだ形跡があったとか、不審な電話がかかってきたとか――が描写されていれば、面白かったかなぁと。
そうして、恐怖の背景にある人間関係や過去のトラブルが少しでも掘り下げられると、老富豪の心理に説得力が増し、事件のインパクトも大きくなると思うんですが、こちらはもともとラジオドラマが原作なのでそこまで描かなかったのでしょうね。

それでも、犯人逮捕の場面を描かずにカットアウトするという大胆な手法には、読者に推理の余韻を残す独特の狙いがあったのかもしれません。
短編だからこそのスピーディさを活かしつつ、読者の想像力を引き出すことに舵を切ったのでしょう。

本作には、もう一篇『ペントハウスの謎』も収録されています。

ペントハウスの謎 あらすじ

新しい事務所に移転したエラリイと秘書ニッキーのもとに、ある女性依頼人が訪れる。
依頼人のシーラは、父親コッブの行方を探してほしいと依頼する。

コッブは、中国劇で財産を築き、中国からマンチュリア号船で帰国する予定だった。しかし、一通の手紙を最後に彼の消息は途絶えた。

エラリイたちは手がかりを求め、豪華ホテル「ホリングワース」へ向かうも、
そこでは、行方不明だったコッブの遺体が発見される。

調査が進むにつれ、殺害されたコッブが帰国の際、大量の宝石を持ち帰る予定だったという事実が明らかになる。
宝石を巡る物盗りの犯行が疑われる一方で、宝石自体の行方は依然として不明。
さらに、犯行現場の周辺には、怪しい男性の影がちらついていた。

登場人物

エラリイ・クイーン: 作家兼探偵。本作の主人公。
ニッキー・ポーター: エラリイの事務所の秘書で、助手的な役割を担う。

シーラ:依頼人の女性。
シーラ・コッブ:シーラの父親。中国劇で生業としていたが、帰国中に行方不明になる。

ミスター・サンダース:ホリングワースホテルのボーイ。
オルガ・オテロ:謎の女性。

クイーン警視: 警視庁。エラリイの父。
ヴェリー巡査部長:クイーン警視の相棒。

エラリイの仕事ぶりや性格が垣間見える貴重なシーンです。

彼は腹立たしげに、清潔な室内を見わたした。

~中略~

彼は、居心地の良い無秩序、アパートの自室の自由が恋しかった。
あの部屋はごったがえしてはいたが、たしかに個性があった。
気が向けば帽子を床にほうり投げようと、電気器具にひっかけようと構わない。
安楽いすに仰向けに寝そべって、足を本箱にのっけることもできる。

能率的! 能率か、ふん!あんな金属製のファイル・キャビネットで何が見つけだせる?


事務所の秘書であるニッキーは、几帳面で整理整頓を好むタイプですが、対照的にエラリイは、自分流の片付けルールを持ち込む少々厄介な人物として描かれています。

その姿には、どこか昔ながらのステレオタイプな小説家のイメージが重なります。
「型にはまらない性格」や「整理整頓が嫌いな独自の美学」と表現すれば聞こえはいいかもしれませんが、実際にはその自由さが時に周囲を困らせることもあるのです。

作品では、エラリイの父親が警視として登場します。
主人公エラリイは、小説執筆の傍ら、父親が担当する事件に首を突っ込むことがしばしば。
そんなエラリイに対して、父親が放った皮肉な一言がこちらです。

「おまえの鋭さには、時々驚かされるよ、エラリイ。おまえのいわゆる探偵小説に出てくるエラリイ・クイーンとかいう、気取り屋みたいな口のきき方をするな。」

少しややこしいのですが、主人公エラリイが執筆する探偵小説の中にも、「エラリイ・クイーン」という同名のキャラクターが登場します。
さらに、この作品自体も「エラリー・クイーン」という作家コンビのペンネームで発表されているのです。この入れ子構造で、物語が描かれています。

主人公エラリイは、彼は普段から執筆作業に必要な犯罪資料を収集しているんでしょうかね、事件に対するセンスは抜群です。
当然そこまでは描かれてはいませんが、作家兼探偵というのはミステリ好きにはたまらない設定。

そして、実はこの作品、1941年のコロンビア映画「The Penthouse Mystery」という映画を小説化した背景があるのです。
もともと映画作品ということもあり、アメリカ映画特有のギャンブルやギャングといったアウトローな要素が盛り込まれています。

テーブルの男たちはポーカーの真っ最中だった。
ポーカーの手持ちは、すでにまちまちだった。
青、白、黄、赤のチップをうずたかく積んでいるのは、ながい尖った鼻の大男で、ずんぐりした指に認印付き指輪をはめていた。
その左に、身なりこそ立派だが、どんよりした目つきの男。
これは、チップを一枚も持っていなかった。
明らかにすっからかんにまきあげられたのだ。

物語の「いかさま賭博」の章では、主人公エラリイがギャングが集う小屋に単身で潜入します。そこで彼は、いかさまポーカーが行われている現場を目撃するのです。

ギャングのボスは、ここぞとばかりに相手の男性がかわいそうになるほどチップをまきあげます。映画を先に制作した作品だからこそ、こういったある種の俗っぽいシーンが見られます。

ギャングたちは「完全悪」として描かれますが、彼らがどのように事件に絡んでいくのかが本作の大きな読みどころの一つ。

短編と中編のどちらも、メインストリートの作品群には数えられません。
しかし、外伝的な要素があるため、シリーズ全体の箸休めとして楽しむにはぴったりの作品です。

最後までお読みいただきありがとうございました。


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