今回紹介するのは、吉村昭さんの『虹の翼』。
あらすじ
『虹の翼』は、明治時代の日本を舞台にした小説で、ライト兄弟が世界初の飛行機を飛ばす十数年前に、独自の構想で航空機を考案した男・二宮忠八の物語です。
彼は人々が空を飛ぶことが夢のように感じていた時代に、飛行機の実現を目指して尽力しました。
彼は鳥の動きを真似し、羽ばたきの仕組みを解明しようとしました。
日清、日露戦争時の日本社会や戦争がもたらした社会影響に翻弄される中、主人公の挑戦と情熱が描かれています。
1.空に魅せられた人々、時代を超えた普遍性
この作品を読むと、「空を飛びたい」という夢が時代や文化を超えた普遍的な人間の欲求であることを感じざるを得ませんでした。
最初に鳥のように飛ぶことを夢見て挑戦したのは、あのレオナルド・ダ・ヴィンチだと言われています。
さらに時代が進むと、イタリアのジョバンニ・アルフォンソ・ボレッリが鳥の飛行を研究し、ブラジルのサントス・デュモンがパリで飛行船の開発に没頭しました。
ジョヴァンニ・ボレリ(1608年1月28日 – 1679年12月31日)は17世紀イタリアの物理学者、生理学者である。天体の運動理論や、骨と筋肉による動物の運動の理論の基礎を築いた。
アルベルト・サントス・デュモン(1873年7月20日 – 1932年7月23日)はブラジル出身の発明家、飛行家。
ヨーロッパの航空のパイオニアであり、主に飛行船の造船で有名。さらに、飛行機の公開実験にも成功しヨーロッパ初の飛行機製作者となっている。
日本でも江戸時代に、空を飛ぶ挑戦の記録が残っています。
天明年間には、三河国御油町の貸席戸田屋の主人・戸田太夫太郎が鳥のような翼を自作し飛ぼうとしました。
また、寛政年間には秋田の仁井田で一農民が同じ試みをしています。
どちらも成功には至りませんでしたが、空への夢は古くから日本にも存在しています。
不思議なことに、飛行機がまだ実現していなかった時代、情報伝達の手段も限られていたにも関わらず、「空を飛ぶことへの憧れ」は世界中で共有されていました。
そして一部の人々にとって、単なる夢を超えた「研究」や「挑戦」の対象であり、強い魅力を持つものでした。
2.「創造」への情熱
この作品では、飛行機作りに没頭した人々が見せた「創造力」が物語を通じて垣間見えます。彼らは単なる職人ではなく、想像力をフル活用して未知の世界に挑んでいました。
彼らが置かれた環境はそれぞれ異なりますが、自然を模倣し、試行錯誤を繰り返す姿勢には共通点があります。
外国の飛行機発明家も、時には大失敗をして命の危険にさらされたこともあったようですが、それでも彼らが空への挑戦を続けたのは、単純な名誉欲や金銭的な目的ではなかったと信じたいです。
ちなみに主人公・二宮忠八は、丸亀の第十二歩兵連隊の看護卒として行軍した際、霧の深い森の中を一羽の烏が滑空する姿をみて、その後の飛行器作りの着想を得ることとなります。この出来事をきっかけに、彼は飛行の原理について研究を始める重要な一歩を踏み出すこととなる。
こうした「何もないところから何かを生み出す」技術者からは、純度の高い情熱がひしひしと感じられます。
3.旧態依然とした日本体質とまとめ
『虹の翼』の主人公・二宮忠八は、本業の合間を縫いながら飛行器作りに没頭します。
自ら設計図を描き、小さな試作品モデルを作るなど、着実に理想の飛行機に近づいていきました。
しかし、彼の挑戦の道のりには常に日本の厳しい経済的現実が立ちはだかります。
当時は日清戦争や日露戦争の真っ只中。個人で資本を調達するのは非常に困難で、周囲からの冷ややかな目や職場での理解不足にも苦しめられました。
一方で、欧米では国を挙げて飛行機開発を支援していました。この対比は、現代日本にも少しなごりがあるような気がします。
挑戦者の芽を刈り取るような環境では、新しい発明や創造は生まれにくいのではないでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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